2009年12月17日

瀬戸内海の観光

古代から瀬戸内海は風光明媚な海として知られ、沿岸には『万葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』などに登場する歌枕が点在している(住吉、難波、須磨、明石、高砂、布引、生田)。
中世になると『伊勢物語』『土佐日記』『源氏物語』『山家集』などの文学作品が瀬戸内海を取り上げたことで、作中に登場する土地が名所となっていく。
庶民の観光旅行が一般化した近世には、『平家物語』『源平盛衰記』『太平記』などに登場する古戦場(屋島や壇ノ浦、牛窓、藤戸など)が観光名所として注目されるようになる。また金比羅宮、石鎚山、住吉大社、厳島神社、宇佐八幡宮、大山祇神社などへの参拝も盛んになる。瀬戸内海各地の名所は『諸国名所百景』などの浮世絵にも頻出する。さらに、こうした寺社詣での旅行者を主な顧客とする観光産業(旅籠、茶屋、土産物屋など)が丸亀や多度津、下津井、宮島などに成立し、繁栄を見せるようになった。

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またこの時期、朝鮮通信使が鞆の浦を「日東第一景勝(日本一の景色)」と称えた記録が残されている。
19世紀になると、シーボルトが瀬戸内海の風景を絶賛し、また明治時代にはトーマス・クックやユリシーズ・グラントなどの欧米人が来日し、近代的な「観光のまなざし」(この概念についてはジョン・アーリを参照のこと)によって瀬戸内海を再編していった。すなわち近世以前の瀬戸内海観光が文学作品を媒介とした「名所」訪問や、由緒ある神社仏閣への参拝という形式を持っていたのに対し、欧米人は瀬戸内海各地で(当時)当たり前のように見られた風景(多島海、段々畑、白砂青松、行き交う和船など)に注目し、これらに観光資源としての価値を与えていった。言い換えるならば、近代の訪れとともに、瀬戸内海観光は「意味」を求める観光から、「視覚」による観光へと変質していったのである。

2009年12月01日

マガモ

マガモ(真鴨)は、カモ目カモ科に分類される鳥類の一種。
北半球の冷帯から温帯に広く分布し、北方で繁殖するものは冬季は南方に渡り越冬する。

日本では、亜種マガモが冬鳥として北海道から南西諸島まで全国的に渡来する。北海道と本州中部の山地では少数が繁殖する。

体長50-65cm。翼開長75-100cm。繁殖期のオスは黄色のくちばし、緑色の頭、白い首輪、灰白色と黒褐色の胴体とあざやかな体色をしている。メスはくちばしが橙と黒で、ほぼ全身が黒褐色の地に黄褐色のふちどりがある羽毛におおわれる。非繁殖期のオスはメスとよく似た羽色(エクリプス)になるが、くちばしの黄色が残るので区別できる。幼鳥は、くちばしに褐色みがある。
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非繁殖期は、湖沼、河川、海岸に生息する。群れを形成して生活する。越冬中の10月末~12月につがいを形成し、春には雄雌が連れ立って繁殖地へ渡る。繁殖期は湖沼、池、湿地の周辺の草地などに生息する。

食性は植物食が主の雑食。水草の葉や茎、植物の種子、貝などを食べる。水面を泳ぐのは上手だがもぐれず、水中に首を突っ込んだり逆立ちしたりしてえさをとる様子がよく見られる。

繁殖形態は卵生。繁殖期は4-8月で、水辺に近い草地の地上に座って首で引き寄せられる範囲の草をあつめて浅い皿状の巣を作り、1~13個(平均11個)産卵する。卵は白色で平均サイズは57×41mm。他のカモ類と同様、抱卵・育雛はメスのみで行う。卵は抱卵開始から28~29日で孵化し、雛は42~60日で飛べるようになる。

2009年11月27日

海軍史

大量の物資を輸送するには、海上や河川を船舶で航行するのが効率が良い。人類が大きな国家を作るようになると船舶による輸送が不可欠となった。この航行の安全を守るために海軍が創設された。海軍力とは自国の海上通商路の維持能力にほぼ等しい。歴史上では海軍力の盛衰が国家の盛衰と一致している事が多い。

海軍の役割は海軍を取り巻く政治情勢や技術躍進などによって大きく変化してきた。初期の海軍は陸軍部隊の輸送や沿岸警備という補助的な役割であり、常に編制されていたわけではなかった。しかし16世紀に初めて戦闘を目的とした船舶が設計されるようになり、次いで蒸気機関を用いた船舶技術の発達が進むと、独自的な役割を担う戦力として海軍が常備化されるようになる。航空機が発明される以前のものであったが、現代においてもその基本思想は現代海軍に残っている。第一次世界大戦では潜水艦の通商破壊や海上封鎖の効果が高く評価され、また第二次世界大戦でも大西洋と太平洋の海上交通を巡って従来の軍艦と併せて航空母艦の航空打撃戦が行われた。冷戦期には核弾頭を搭載した核ミサイルと原子力潜水艦という新しい海上戦力が核抑止の役割を担っていた。
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虎太郎が一攫千金を追う
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紀元前21世紀頃に古代エジプトがナイル川に浮かべた軍船が、海軍のもっとも古い例のひとつと考えられている。

地中海世界では、紀元前15世紀頃からメソポタミアとエジプトで生まれた文明が東地中海地域に波及し、地中海沿岸の各地に生まれた諸都市・諸国家は海軍を編成して海上交通の覇を競い合った。

2009年11月13日

菊紋の法的規制が布かれる中

明治政府が建てられ、菊紋の法的規制が布かれる中、桐紋については、菊紋と同じような法的規制などの対処は採られなかった。室町から続く将軍家の家来に対する桐紋の譲渡が頻繁にあり、家の家紋として使用している者もいたため、それを配慮したためだと考えられている。しかしながら、権威が失墜したわけではなく、五七桐が内閣・政府の紋章として官記や辞令書の用紙などに慣例的に用いられ、最近では、日本国外において日本の内閣総理大臣の紋章として定着しつつある。桐紋はもともと政府を表す紋章としての性格があり、小判などの江戸時代の貨幣や明治以降の貨幣、現在の最高額硬貨である五百円硬貨にもその刻印がある。

また神社や寺でも各々に用いる固有の紋があるが、特に家紋と区別してそれらの紋は神紋(しんもん)や寺紋(じもん)と呼ばれる。しかし同じように校章といった各学校における紋章や、会社など社団法人には社章も存在するが、家紋の数や種類と比べると圧倒的に少ないため、日本の紋章学者の間では「紋章=家紋」という認識が一般的である。
光学
就学前教育
振付師
包装
予備校
北海道
ブレイクダンス
投資信託
学習塾
フライングディスク

神紋には、各神社にゆかりのある公家・武家の家紋が用いられる他、唐などにおける図案や由緒縁起にまつわる図案など独自の意匠が用いられていることも多い。神職の系統の家系では、神紋が家紋代わりとなっている(花菱紋、柏紋など)。

女紋
主に畿内(関西地方)を中心とした西国において普及している風習の1つである。女紋とは実家の家紋とは異なり女系から女系へと伝える紋章のことであり、実家の家紋とは意匠も由緒も異なる。関西の商家では外部から頻繁に有能な入婿を迎えて家を継がせる女系相続が行われたため、自然発生的に女系に伝わる紋が生まれたといわれる。特に近畿地方の商家においては「家紋が一つしかない家は、旧家とは言わない」ともいい、代々の女紋を持つ家は相当な旧家として敬意を持って遇されることが多い。

2009年11月02日

帯電を検出するもの

帯電を検出するもの(電荷検出型)

雷雲が発生すると、雷雲と大地との間に電荷が蓄積される。上述の2方式によるものでは稲妻や落雷が発生してからでないと雷検知はできないが、帯電を検出するものは、稲妻や落雷の発生を「予測検知」することができる。例えば雷雲と大地間との間に発生する電界をとらえ、電界のエネルギーや、変位量、変化の状態などにより雷雲の発生や接近、稲妻の発生を予測することができる[2]。また、雷雲が発生すると地表の突出物からコロナ放電が生じることを利用して、このコロナ電流を検出することにより検知するものもある。ただし帯電を利用することから、遠方で発生する雷の検出には不向きで、雷検知器の設置点の比較的近辺で発生する雷の検知に用いられる。
なお、ポポフの発明した雷検知器(コヒーラ式雷検知器)は電磁波検出と電荷検出の両方を行うことが可能であったことが近年、日本の研究者や技術者らによって再発見され、改良、再び実用に供されるようになっている。
雷探知網
ルーキーのグルメ食べ歩き!
英語の上達秘伝!
九月の空
フラワーパークで春夏秋冬体験講座
マイホームの掃除術伝授
小さな魔法使い
消費者生活アドバイスライフ
笑顔のまんま
上昇気流
心の扉

雷検知器を計画的に各地に配置、通信回線を用いてそれぞれの検知器の検知結果を集約、分析、利用するもの。
米国では1990年代に全米雷観測ネットワークが完成、これから得られる情報を利用するようになった。日本では米国などからの技術を導入して、1990年代以降、電力会社などでの独自整備が急速に進み、2000年には商業ベースのネットワーク(JLDN)が完成している。

2009年10月23日

学士に関する法令は

学士に関する法令は学校教育法第68条の2第1項及び学位規則第2条により定められ、学士の学位授与権は大学及び独立行政法人大学評価学位授与機構とされ、大学を卒業した者、ないし独立行政法人大学評価・学位授与機構に学位授与申請を行い審査に合格した者に授与されることとなっている(学校教育法第68条の2第4項第1号及び学位規則第6条の規定に基づき短期大学若しくは高等専門学校を卒業した者(又は大学設置基準(昭和31年文部省令第28号)第31条の規定による単位等大学における一定の単位の修得又は短期大学若しくは高等専門学校に置かれる専攻科のうち大学評価・学位授与機構が定める要件を満たすものにおける一定の学修その他文部科学大臣が別に定める学修を行った者)で、かつ、大学評価・学位授与機構が行う審査に合格した者に対し授与される旨が規定されている。)

りんりん健康ビューティー
葵のお仕事
永遠の旅の中
果てなき想い
蟹座
鬼丸大将 
九月の空
交差点
咲良のスポーツイベント
七夕のお願い
初めて望遠鏡
心花の蛙の子は蛙
世界自然遺産
赤信号
汰一の絶体絶命事件
鉄平の奮闘記
届く手紙
美空の魔法
豊かな生涯
野いちご
ちなみに、すでに学士の学位を有する者が、大学に学士入学して卒業したり、科目等履修生として必要な単位を取得して大学評価・学位授与機構に申請することにより学位を取得することで、通算して2つ以上の学士の学位を持つことをダブルディグリーという。

高学歴化が進み、また様々な大学間の提携や学際的な研究領域の発達に伴い、いわゆる複数学士号という、所属大学が提携する他大学の単位を修得するなど一定要件を満たすことで、在籍する大学及び提携大学の学位も取得できる制度も次第に浸透しつつある。

2009年06月22日

論はチャールズ・ダーウィンの近年の研究より

用語「古典的社会進化論(Classical Social Evolutionism)」は、19世紀のオーギュスト・コントやハーバート・スペンサー(語句「適者生存」を造り出した)、ウィリアム・グラハム・サムナーの作品に最も近く結び付けられる。多くの点で、スペンサーの「宇宙の進化(宇宙論)」の理論はチャールズ・ダーウィンの近年の研究より、ジャン=バティスト・ラマルクとオーギュスト・コントの研究で、より一層の多くの共通点がある。スペンサーは同じくダーウィンより数年より早い彼の理論を展開し、そして発表した。しかし、社会的慣行に関して、スペンサーの作品が「社会進化論」として分類される方が良い場合がある。彼が長い間で社会が進歩し、進歩が競争を通して達成されたと書いたが、彼は、むしろ集団主義より個人の方が、進展する分析の単位である、進化が自然淘汰を通して起き、それが生物学であると同様、社会の現象に同じ影響を与えることを強調した。それにもかかわらず、ダーウィンの研究の発表は、社会文化的進化の提案者に恩恵を証明した。社会の行動と、今日さえ多くの人類学者と社会学者によって取り上げられる社会科学の世界は、生物進化と似たような問題があり、生物学の類似性がある。  
星と光たち
オリンピックの驚き
海のお話
ウサギの秘密
めの付く言葉
音楽歴史
まの付く言葉
バレンタインデー
たばこ禁煙
酒に飲まれて
皮膚科学
為替
アーチェリー
ボイスドラマ
九州
カポエラ
ビオトープ
縄跳び
包装
ソフトボール

スペンサーとコントの両者は、社会を成長の過程を受けやすい一種の生体だと見なしている。つまり、単純さから複雑さまで、カオスから秩序まで、一般化から専門化まで、柔軟性から組織化まで。それらは社会の成長(Social_progress)の過程がある特定の段階に分けられ、の初めと終わりを持つことができる、そしてこの成長が実際社会の進歩であるということに同意したそれぞれのもっと新しい、いっそう進化した社会がもっと良いと思われる。従って、革新が、社会文化的進化の理論の基礎となっている基本的な考えの1つとなった。

社会学の父として知られるオーギュスト・コントは、3段階の法則を定式化した。人間の進化が、形而上学上で考え出された、そして人間が超自然の生きものから自然の現象の説明を求めた神学のステージから自然が不明瞭な力(force)の結果と想像された、そして人間がすべての抽象的な、そしてわかりにくい力が捨てられる、そして自然の現象がそれらの不変の関係によって説明される最終の肯定的なステージまで自然の現象の説明を求めた抽象的なステージを通して進行する。この進歩は人間の心の発達と世界の理解への考え、思考の適用の増加を通して強制される。[1]

個人のために自由が増えるに従い、社会が進展する事を信じていた、ハーバート・スペンサーは、政府介入が社会の政治的な生活で最小であるべきであると考えて、社会の中で内規のタイプの上に焦点を合わせ、開発の2つの段階を区別した。彼は、軍と工業社会を区別した。初期には、軍の社会の基本は征服と防衛の目標を持っていて、中央集権化され、経済的に自足で、 集産主義であって、グループの善人を個人の善人の上に置いて、強制、力と抑制を使って、忠誠、服従と自制に報酬を与える。工業社会は生産目標と取引を持って、経済関係によって他の社会を持って地方分権で、緊密に結びついており、自発的な協力と個々の自制を通してそのゴールを達成し、個人の善を最も高い値として扱って、自発的な関係によって社交生活を規制して、指導力(イニシアティブ)、独立と発明を高く評価する。[

2009年06月05日

領主(りょうしゅ)とは、一定の土地と其処に生活する

領主(りょうしゅ)とは、一定の土地と其処に生活する人々(領地)の封建的な支配権を有する者。

領主は、封建制の時代における政治ないし地方自治の形態で、その多くは世襲制による。ヨーロッパ地域では近世から中世にかけ国家という単位が発生する過渡期的に多くの領主が貴族という形で国家に編入されていった。

元々は開墾などの形で土地を自然のままの単なる荒地や原野から食料などの生産(農業)に即した状態(→穀倉地帯・治水)に整備するのは、個人や小集団の手には余る仕事であったし、まして近隣地域からの侵略から守ることは、民兵を組織化するにしても困難が生じた。こういった事業を手掛けていったのが、領主である。領主は領地を得て、其処からの産品で財を成したが、この中には交易網の整備や外交、また領内の住民(領民)に対する生活保護に絡んだ様々な問題解決が仕事となった。

ただ多くの伝承が伝えるように、こういった領主が増長して領民を苦しめたり、或いは周辺地域を侵略したりといった時代もあり、戦国時代のような形態の時代には戦争に明け暮れ、その負担は領民を苦しめることとなった。これらの領主はやがて民衆から遊離し、その権力を絶対のものとして代々受け継いでいったが、その中にはいわゆる名君と謳われ伝承に残るような善良ないし優秀な者たちもいた。
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後に領主は国という形態が自己組織化の圧力もあって、次第に極大で各々の民衆の想像を絶するほどの政治的システムに変化する過程で取り込まれていったが、その多くは幾らかの自治権を保持し続け、地域の様々な産業に関与、地域の繁栄も困窮も領主の腹一つで決まる部分も根強く残った。

今日、様々な地域に残る市や県などの土地の区分けは、そういった領地の支配範囲の名残であることも多く、封建制から他の政治システムに移行した後でも、各々の政治システムの地域的な区分けに利用されている。

2009年05月01日

明子女王

明子女王(あきこじょおう、寛永15年(1638年) - 延宝8年7月8日(1680年8月2日))は、日本の皇族。江戸時代、後水尾天皇皇子の高松宮好仁親王王女として生まれ、後西天皇女御となる。母は北ノ庄藩主松平忠直の娘で、徳川秀忠養女の宝珠院寧子。

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父王の好仁親王は明子女王の生まれた寛永15年(1638年)に、男子の無いまま薨去した。この為、後水尾天皇第六皇子の秀宮を親王宣下し良仁親王(ながひとしんのう:後西天皇)となし、高松宮を継承させた。明子女王は良仁親王の妃に内定する。慶安4年(1651年)親王の元服に伴い婚儀が行われ御息所となり、3年後の承応3年(1654年)6月に八百宮(後の誠子内親王)を産む。同年9月20日、後光明天皇が崩御、本来高貴宮(霊元天皇)が皇嗣と定められていたが、高貴宮はまだ幼少であった為、良仁親王が皇位に就くこととなった。親王は同年11月に践祚し、明暦元年(1655年)1月に即位する。明子女王はその年の5月14日に長仁親王(後、八条宮を継承する)を産む。明子は後西天皇即位後、女御宣下のないまま女御と称されていたが、明暦2年(1656年)に女御宣下される。寛文3年(1663年)正月、後西天皇は霊元天皇に譲位する。

明子女王は延宝8年(1680年)7月8日、病が元で43歳で没し、妙吉祥院聖輔義英太夫人と諡される。墓所は京都府京都市・大徳寺龍光院。

2009年04月17日

ミトコンドリア・イブ

ミトコンドリア・イブ(Mitochondrial Eve)とは、人類の進化に関する学説に対してマスコミが名付けた愛称で、アフリカ単一起源説を支持する有力な証拠の一つである。
カリフォルニア大学バークレー校のレベッカ・キャンとアラン・ウィルソンのグループは、できるだけ多くの民族を含む147人のミトコンドリアDNAの塩基配列を解析した。これを元に彼らは全てのサンプルを解析し系統樹を作成した。すると、人類の系図は二つの大きな枝にわかれ、ひとつはアフリカ人のみからなる枝、もう一つはアフリカ人の一部と、その他すべての人種からなる枝であることがわかった。これはすなわち全人類に共通の祖先のうちの一人がアフリカにいたことを示唆する。このように論理的に明らかにされた古代の女性に対してマスコミが名付けた名称が「ミトコンドリア・イブ」である。

解説 [編集]
ミトコンドリアDNAは必ず母親から子に受け継がれ、父親から受け継がれることはない。したがってミトコンドリアDNAを調べれば、母親、母親の母親、さらに母の母の母の…と女系をたどることができる(この場合、父親の系統を遡ることはできない)。またミトコンドリアDNAは組換えを経ることがないため、個々人のミトコンドリアDNAの違いは突然変異のみによると考えることができる。

突然変異は、中立説にもとづくなら、その発生頻度は経過した年月と相関すると考えられている。すると、二つの民族間でDNA配列がとてもよく似ているということは、分かれた後に起きた突然変異が少ないと言うことで、より最近にわかれた民族であるということを示す。逆にあまり似ていない配列は、たくさんの突然変異を蓄積してきたと考えられ、古い時代に分かれた遠い民族であるという基本的原理が成り立つ。

このように、ミトコンドリアDNAの違いの多少を調べていくと、いつごろ、どこでミトコンドリアDNAの違いが発生し始めたか(違いが発生する前のミトコンドリアDNAは何時、何処に存在したか)が推定できる。すなわち全ての人類の母親にたどり着けるのではないか、と考えることができる。つまり、ミトコンドリアイブはより正確に言えば「現生人類の最も近い共通女系祖先」だと言える(彼女の女系祖先はすべて「現生人類の共通の女系祖先」でもある。その中で「最も近い」のがミトコンドリアイブである)。

分析の結果、場所的には一人のアフリカの女性にたどり着き、時間的には、(キャンらは分子時計の理論により、突然変異の蓄積の速度を仮定し計算を行ったところ)人類の仮想上の共通の母親は、約16±4万年前、つまり最大で20万年前に存在すると結論づけた。

この論文は、科学雑誌ネイチャーに1987年に発表されたものである。この論文はダーウィンも推測した「人類のアフリカ起源説」を裏付ける証拠であった。

しかし、後に(このような数値には必ず±がつき、±がない場合は信憑性を疑うべきであるにも拘らず)最大値の20万年前が一人歩きし、ヒトがそれまでの説より数万年さかのぼり、20万年も前から存在したことが証明されたという誤解を生じた。(実際に対象とした塩基配列数と標本数を比較すると4万年という誤差は妥当な値である。)

この結果は、2000年にネイチャー・ジェネティクス誌において発表された、スタンフォード大学のピーター・アンダーヒルとカヴァッリ・スフォルツァらのグループによる父親から息子にのみ伝わるY染色体を用いた同様の検討によっても、ほぼ同じパターンが確認された。これはY染色体アダムと呼ばれることがある。Y染色体アダムは6万年前頃に生存していたと見られるが、当然のこととしてミトコンドリア・イブの夫である可能性は無い。

よくある誤解
これらの科学的成果は一般にも大変興味のあるところであり、たちまち広く知られることとなったが、同時に誤解をうむことともなった。特に「すべての人類はたった一人の女性からはじまった」とするものがある。正しくは、「すべての人類は母方の家系をたどると、約15-30万年前に生きていた一人の女性にたどりつく」ということである。この二つの言い方は、方向が逆であるだけでなく、本質的に異なる。以下にその誤解を解くための説明を述べる。

ミトコンドリアは女性からしか伝わらないため、男性は自分のミトコンドリアDNAを後世に残すことができない。また、女性は自分が産んだすべての子にミトコンドリアDNAを伝えるが、その子らがすべて男性だった場合、彼女のミトコンドリアDNAは孫に受け継がれずに途切れる。もし子に女性がいても、娘が産んだ孫に女性がいなければ、やはりその家系のミトコンドリアDNAは廃れる。つまりある個人のミトコンドリアDNAが子孫に伝わるためには、その間のすべての世代に少なくとも1人は女性が産まれなければならない。

ここで人類のある任意の世代の集団を考えよう。その時の構成員を、ミトコンドリアDNAについてそれぞれがバラバラの家系に属すると仮定する(*註)。ここで偶然、ある家系の子孫が男性だけになったとすると、その家系のミトコンドリアDNAはやがて廃れる。逆に、女性が多数産まれた場合、より多くミトコンドリアDNAを残すこととなる。話を単純にするために、仮に人類の総人口が常に安定しているとすると、平均的には各男女から男女ひとりずつが生まれる(生き残り、次の世代を残す)ことになる。しかし実際に一組の夫婦が持つ子供の数は「男女ひとりずつ」を中心に、男性ばかり、女性ばかり、あるいは多数の子供を残す、子供を全く残さない、というようにばらつきを持って分布することになる。これを人類全体として確率論的に捉えるならば、ミトコンドリアDNAの系統は常に減っていくことになる。これを繰り返すと、いずれかの世代では、ミトコンドリアDNAの系統がある時代(ここでは、上に挙げた任意の世代)のひとつの系統に遡ることになる。この時点で、この系統以外の女性のミトコンドリアDNAにたどることは不可能となるが、それ以外の核DNAに関してはこの限りではない。

つまり、現在の人類の母親をどんどんたどっていくと、ある一人の女性にたどりつく。しかし、その同時代には他にもたくさんの女性がいて、家系図の母系だけをたどるのではなく、母系をたどりつつたまに父系をたどる、のような遡り方をすれば彼女達にたどりつくこともできる。すなわち、その時代のたった一人の女性から人類全てが生まれたというわけではないのである。右図で言えば、A6の女性から父父父母とたどれば、ミトコンドリア・イブと同時代に生き、すでに絶えてしまった系統Cを持つ女性D2にたどり着く(A6はD2のミトコンドリアDNAは受け継いでいないが彼女の遺伝子の1/16を受け継いでいる)。 また、ミトコンドリア・イブの存在は、単為生殖的に遺伝する性質に由来するものであるため、人類の人口の変動と直接関係するものでもない。

ミトコンドリアイブは特定の女性を指すのではなく時代によって変動する。もしも仮に5万年前の人類のミトコンドリアDNAサンプルを得たならば、そこから遡ったミトコンドリア・イブは、現代人にとってのミトコンドリア・イブよりも古い時代のひとりの女性を指し示すであろう。同様に、現代に生きている女性のうちの誰かが数十万年後のミトコンドリア・イブとなる可能性もある。ミトコンドリア・イブ自身は、女系を通してたくさんの子孫に恵まれたという以外、何も特別な点はない。

だとしたら、ミトコンドリア・イブ説にはどういう意味があるというのだろうか。実を言うと、「たった一人の女性から全人類が生まれた」という根本的誤解に勝るようなインパクトのある意味はない。

*註 図を見ると昔は多様であったミトコンドリアの系統が失われ画一化していくように見えるが、そうではない。「系統」とは「任意のある時点で生きている女性に個別に貼り付けたラベル」でしかない。たとえばB系統に属するとは、B1の女系子孫であると言うことしか意味しない。仮にA1~D1の4人の女性が姉妹で、ミトコンドリアの多様性など無いに等しくとも、この考え方は成り立つ。また第6世代の4人の女性にあらためてラベルをふり、再び同じ実験を行っても同じ事である。我々のルーツを探る研究は現代人を第6世代と見なすところから出発しているが、遠い将来を考えれば、いつか現代人が第1世代と(同様に第2~第5世代とも)見なされる時代がやってくる。

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